異なる2つの文化の中で、2つを吸収する娘と、一触即発の夫と妻。普通の家族日記なんですけど、とんでもない話も頻発する家族の日記です。
喧嘩両成敗 理不尽

喧嘩両成敗 理不尽

—– 前回から続く —–

小学校2年生の娘(8歳)が、同じクラスの一部のいじめっ子から、ぽっちゃり体型を頻繁にからかわれて、娘が精神的にストレスを抱えている問題を過去2回投稿しました。

 

娘のクラスの担任は、このような問題を「喧嘩両成敗」で処理しようとします。

この担任の先生の常套句は、これです。

「先に言った方は悪いけど、あなたも言い返したんだから、あなたも悪い。」

 

これって、言い争っている子供たちと親にとって、説得力のある問題解決方法なのでしょうか?

私個人的には、このような喧嘩両成敗法は、非常に理不尽だと思っています。

 

喧嘩両成敗といえば、戦国大名であった今川氏が1526年に定めた分国法「今川仮名目録」第8条の冒頭部分が、典型的な例として知られています。

「喧嘩に及ぶ輩、理非を論ぜず両方共に死罪に行うべきなり」

つまり、現代的に訳すと「喧嘩をした両者は、理由の如何を問わず死刑にする」という意味です。

今から約500年前の日本は、戦国時代の真っただ中。各戦国大名たちが、領土拡大のために争いごとが絶えなかった戦乱の世でした。

日本各地で戦争が続き、社会情勢が極めて不安定だった時代に、争いを起こした当事者同士は、理由の如何を問わず厳罰に処するという喧嘩両成敗法は、当時の社会の秩序と治安の安定化に即効性のある問題解決方法だった事は想像に難くありません。

しかし、それはあくまで、500年前の戦国時代の話。

 

21世紀の現代社会において、喧嘩両成敗法は適切でしょうか?

子供たちに限らず、争い事には、双方に言い分があるもの。ですから、問答無用で両方が悪いと無理やり手打ちにしてしまうと、問題の原因をうやむやにしてしまうため、同じ問題が再燃し続ける悪循環を招きかねません。

 

私の子供が直面しているいじめ問題に限定すれば、喧嘩両成敗は最も理不尽で不公平な解決方法です。

いじめ問題では、最初に嫌がらせを行う者が原因です。

いじめを行う者がいなければ、いじめられる者も存在しないのですから。

 

実際の私の子供の例で説明します。

娘が「デブ」「豚」「脂肪」などと悪口を言われ、くやしいから、いじめっ子に言い返して悪口の言い合いに発展します。

この状況を知った先生が、仲裁に入ります。

しかし、この先生は、「言い合いをしたんだから、両方悪い」と喧嘩両成敗で手打ちにします。

 

これでは、いじめられた者は「なんで、私が先生から叱られるの?」となります。逆に、いじめっ子は、自分が原因を作ったにもかかわらず相手も叱られたので「しめしめ!」となります。

いじめを喧嘩両成敗で裁くと、いじめっ子は「いじめ得」、いじめられた者は「いじめられ損」で、結局は何の問題解決にもならないのです。

先生としては「最初にけしかけた方に、まず非がある!」と、少なくともいじめっ子を牽制して、いじめや争いの連鎖を断ち切る必要があるはずです。

 

子供たちのいじめ問題を喧嘩両成敗で解決しようとすれば、その場しのぎの極めて安易な解決方法にしかならず、根本的な問題解決法とは決して成り得ないのです。

21世紀の現代に、500年前の戦国時代の思想に偏った教育者がいることに、驚きと失望を禁じ得ません。

これから、参観日のような機会に、担任の先生と保護者の懇談会があれば、喧嘩両成敗の理不尽さについて問題提起をしたいと考えています。

 

 

 

 

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