新年を迎えると、あらゆる所に新しい年を祝う言葉が登場します。
迎春(げいしゅん)、初春(しょしゅん)、新春(しんしゅん)、賀正(がしょう)、謹賀新春(きんがしんねん)などなど・・・
このようなお祝いの言葉、祝意を表す言葉を「賀詞(がし)」といいます。
お正月にシャトレーゼ(Chateraise)さんでケーキを買いましたが、シャトレーゼさんは、ケーキにも「迎春」として新年を祝っていました。
こういうのは、ほのぼのしますね!
ところで、「迎春」(読み方:げいしゅん)の意味ですが、読んで字のごとく「春を迎える」わけで、暦(旧暦)の上では正月は「立春」、つまりは「新年を迎える」という意味になるわけです。
しかし、賀詞には使い方に注意すべき点があります。それは、誰に向けてその言葉を使うかという点です。
もっと簡潔に言うと、目上に使うべき賀詞と、目下に使うべき賀詞が存在することです。
例えば、目上とされる人への新年の賀詞は以下のような例があります。
・謹賀新春(きんがしんねん)
・恭賀新年(きょうがしんねん)
・謹んで新年のお慶びを申し上げます。
相手への敬意を表す言葉である「謹」、「恭」、「敬」などが入っていれば、目上の方への賀詞となります。
逆に、目下の人や友人への賀詞は、以下のようなものがあります。
・迎春(げいしゅん)
・慶春(けいしゅん)
・初春(しょしゅん)
・新春(しんしゅん)
・寿春(じゅしゅん)
・賀春(がしゅん)
・寿
・賀
・春
上記は、単に祝意を述べた言葉であり、相手への敬意は含まれていません。
自分から見て相手は上か下かで、適切な言葉か否かが区別されているという点は日本語にありがちですね。
言葉そのものが持つ本来的な意味というのは、非常に興味深いものです。しかし、原則論のみが重視されて、一般の日本人が問題無く意思疎通ができている事実を軽視するのはいかがなものなのかと思うことがあります。
では、シャトレーゼさんは、ケーキに「迎春」としましたが、それは顧客を目下と見ているのでしょうか?決してそうではないと思います。
上司が部下から「慶春」と書かれた年賀状をもらって、失礼な奴だと思うようなら、その上司は人間としてどうでしょうか?
もの事を原則論のみに沿って深読みし過ぎると、現実の世界を無視してしまう結果となりかねません。
私個人的には、シャトレーゼさんのケーキの「迎春」の文字を見て「美味しいケーキで新年を迎えたなぁ!」という、シャトレーゼさんのおもてなしにうれしくさえ感じました。
言葉って、伝える側の真意が伝われることが第一。語源などの知識は、その後でも充分だと思うのです。