生活の中には、どの家族であれ、自分以外が発する、ある種の「生活音」が存在すると思います。
朝、目覚めれば、妻や子供が身支度をして、朝食を取り、そして、職場や学校に行く慌ただしい音がします。
夜、帰宅すれば、やはり、妻と子供が夕食を取り、おしゃべりしたり、入浴したりと、就寝するまで、各自が思い思いの時間を過ごす音が絶え間なく聞こえます。
ベッドに入ってからも、妻の寝息であったり、子供が寝がえり打つ音であったり、家の中が全く無音になることなど無いような気がします。
普段は、この生活音にうんざりすることも無きにしも非ずで、「あ~あ、少しの間でいいから、静かな場所で一人でのんびりとしたいよなぁ~!」などと、思うことが時々あります。
正直に言って、慌ただしい毎日の生活では、この生活音がうっとおしく、ストレスを感じてイライラすることすらあります。
この生活音に慣れ過ぎてしまっている私は、先日、奇妙な体験をすることになります。
朝起きると、妻も子供も既に出かけた後でした。
自分の動作以外の音が全くぜず、生活音が全く聞こえない静かな朝だったのです。
その時、その予期せぬ静寂に強烈な違和感を覚えたものでした。
「何か、妙に淋しいな・・・」と。
口うるさい妻に対して、普段は「こいつがいなかったら、どれだけ平穏に過ごせるか!」なんて思っているのに、同じ空間に居ないと、逆に落ち着かないのです。「喧嘩するほど仲が良い」とは、こんなことなのでしょうか。。。。
また、9歳の娘については、バタバタと走ったり、それはそれはおしゃべりで、「パパ~、パパ~。」と甲高い声で何度も話しかけてくると、ついつい「うるせ~なぁ!」と心の中で呟くこともあります。
しかし、バタバタという足音も甲高い声も無く、周囲の空間が静寂に包まれると、普段ストレスすら感じる音が恋しく感じてしまうから不思議です。
これって、やっぱり、心の奥底では、家族を愛おしく思っているからなのでしょうねぇ。
望み通り、家族がいない静寂が訪れた瞬間、既に虚無感に襲われるなんて。。。。
毎日の生活では、当たり前のことに感謝するって、なかなかできないものです。
普段の生活音って、聞こえるべくして聞こえる価値のある音で、安心感と同義語になっているのかもしれませんね!
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